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阿波踊りの歴史を詳しく見ると!本場は徳島・東京どっち?

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お盆と言えば盆踊り。

仕事もお盆休みで家族そろって夜は夏祭りに参加して,盆踊りを楽しんだ経験がある方は多いと思います。夏の風物詩ですよね!

盆踊りの中に有名な阿波踊りがあります。
実は日本には三大盆踊りと呼ばれる盆踊りがあって,この中でダントツの知名度を誇るのが阿波踊りです。

頭から離れない「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、よい、よい、よい、よい♪」のフレーズに陽気なリズム。見てて楽しくなりますよね!

この阿波踊り、実は歴史が長いんです!

阿波踊りは徳島と東京で盛大に開催されています。本場はどっちなんだろう?歴史を詳しく見るとわかってきます。

それでは早速みてみましょう!

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阿波踊りの歴史を詳しく

実は詳しくは解明されていなく、阿波踊りの歴史、起源にはいくつか説があります。

・蜂須賀入城起源説
歴史は江戸時代までさかのぼります。天正(てんしょう)14年(1586年)、徳島藩阿波国(現在の徳島県)の武将で一宮城(いちのみやじょう)を居城としていた蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が徳島城を築きます。

この徳島城が完成した時に蜂須賀至鎮が城の完成祝いに出した「お触れ」が「好きに踊れ」であり、城下の町の人々が「めでたやめでたや」と狂ったように踊り、この踊りこそが阿波踊りになったという説があります。

引用元:http://nansuiren.com/s/history01.html

しかし、この時代は内戦が多く、安易に城が解放され城下町の人々が城に入れるわけがないと否定されています。

 

・風流(ふりゅう)踊り起源説
室町時代から盛んに行われた風流踊り。

引用元:http://kyoto-shashin.com/cat3/10/cat113/798.html

天正(てんしょう)6年(1578)年、阿波国の武将の十川存保(そごうまさやす)が、阿波国の中心として栄えた勝瑞城(しょうずいじょう)で風流踊りを開催し、この風流踊りが阿波踊りの起源となったとする説。

 

・盆踊り起源説
旧暦の7月に死者を供養する為に行われていた盆踊りの原型である精霊踊(しょうりょうおどり)、念仏踊(ねんぶつおどり)が阿波踊りの起源でもあるとの説です。

引用元:http://blog.livedoor.jp/rekishi_tanbou/archives/17...

 

・その後の歴史
江戸時代の徳島は「小江戸」といわれ、殺菌、防虫効果も高い染料の「藍」と塩で繁栄していた。藍の商人が阿波踊りを広めたと言われています。

 

・江戸時代から明治時代にかけて

当時、阿波の藍商人は花街(芸者屋、料理屋が集まっている街)で豪遊をしていました。

引用元:http://ommki.com/news/archives/9531

藍商人に気に入られるようにするために芸者さん達が芸を磨き、阿波踊りは一段と洗練されていった。

芸者から庶民に根付き、誰でも踊れる阿波踊りになったといわれています。

 

・明治から大正
江戸後期~明治~大正時代まで、徳島は藍産業で支えられていました。
東京や大阪の取引相手と商談する時の接待で阿波踊りが行われていました。
商談の場になっていました。

お客様をもてなす女性である芸鼓(げいぎ)が気に入られてリピーターになってもらうことを目的としていました。
当時は「阿波踊り」ではなく「阿波の盆踊り」と呼ばれていました。

江戸時代では阿波踊りが反乱になるほどで、禁止のお触れが出たりもしていたそうです。

阿波の花柳界(芸鼓、芸者の社会)に「阿波の盆踊り」が浸透しました。

上客(リピーター)の商人との間で大流行して、三味線で奏でて踊るスタイルが確立されてきました。ただの「盆踊り」から進化を遂げていく段階に入った事になります。

引用元:https://twitter.com/tetesho/status/524186697295093...

 

・昭和~現在

昭和3年(1928年)郷土史家(きょうどしか)の林鼓浪(はやしころう)によって「阿波の盆踊り」は『阿波踊り』と改名されます。
この年、昭和天皇御大典を奉祝し盛大に「阿波踊り」が行われました。

この出来事がきっかけで「阿波踊り」は全国へと広まっていきました。

本場は徳島・東京どっち?

東京でも盛大阿波踊りは行われますが本場は徳島です!
阿波踊り400年の歴史を振り返ると本場は徳島とよーくわかります!

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東京の阿波踊りとは?

東京の杉並区高円寺で行われるの「東京高円寺阿波踊り」が最も有名な東京の阿波踊りです!

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E...

2018年は8/25、8/26に行われます。
毎年100万人の観客が集まる東京の夏の大イベントです。

高円寺の商店街復興組合がまちおこしに、何かイベントをやろうと計画したのが始まりです。

隣町の「阿佐ヶ谷」ではすでに「七夕祭り」が開催されていて、これは負けてられない!と早足でイベントの計画を進めたそうです。

狭い商店街で何ができるんだろう?と試行錯誤していた時に、徳島は道路を踊って進む祭りがあるとの情報を知り、これを真似して始めたのが東京高円寺阿波踊り(東京の阿波踊り)の始まりです。

ちなみに最初は「高円寺ばか踊り」という名称だったそうです。おもしろいですよね。

しかし、さすがに「ばか踊り」のままはヤバいだろ!ってことで、本場徳島の阿波踊りを習い昭和38年(1963年)に東京高円寺阿波踊りに改名されました。

振りかえって

阿波踊りの歴史は長くて深い事がわかりました。しかし、阿波踊りの歴史、特に起源には諸説がつあるのがわかりました。

まずは「蜂須賀入城起源説」これは徳島城が完成した時にお祝いとして武将の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が好きに踊れ!踊れ!とお触れを城下町の人々に出したのが始まり。

次に「風流(ふりゅう)踊り起源説」これは阿波国の武将の十川存保(そごうまさやす)が、阿波国の中心であった勝瑞城(しょうずいじょう)で風流踊りを開催。これが阿波踊りになった説。
風流踊りとは、集団で笛や太鼓などの伴奏に合わせて踊る踊りのことです。

次に「盆踊り起源説」これは死者を供養する盆踊りの原型である精霊踊(しょうりょうおどり)、念仏踊(ねんぶつおどり)が阿波踊りの起源であるとの説です。

う~ん、どれもありえそうですよね!調べてみてもどれも有力で確かな答えはないみたいでした。

ジャパンブルーとも呼ばれる染料「藍」は徳島の産業を支えてきました。「藍」の取引先との商談で行われた接待で阿波踊りが踊られ、やがて昭和天皇御大典を奉祝した際に阿波踊りは盛大に行われ全国に知れ渡ったそうです。

つまり、阿波踊りの本場は「徳島」でしたね!

でも、東京の阿波踊りも毎年大盛り上がりですよね。「東京高円寺阿波踊り」は有名です。

実は徳島の阿波踊りの真似して始めたらのがきっかけで名前も最初は「高円寺ばか踊り」しばらくしてから本場徳島の阿波踊りを習って「東京高円寺阿波踊り」になったのでした。

落ち込んでる時に三味線の音色に「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」のフレーズと踊り。

とても陽気で気分も上向きますよね。阿波踊りは歴史を知ると、お祝い事で踊るにはぴったりだ!って思いました。

 

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