2020年、ついに念願の東京オリンピックが開催されます。
そこで、1964年の東京オリンピックを振りかえってみようと面白いトリビアをまとめてみました。
引用元:https://togetter.com/li/1015209
なぜ10月だったの?
1940年にも開催される予定だった?
東京オリンピックがきっかけで生まれた職業やマークもありましたので紹介していきます。
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目次
10月開催はなぜ?
10月10日(開会式)が晴れる確率が高い「特異日」だったから。
とは言え10月の日本は台風シーズンでもありますよね?探ってみました。
東京オリンピック当日は秋晴れの青空でしたが、前日は台風の接近で雨でした。
もしも、開会式の当日が雨だった場合は
・「荒天で開会式を挙行できない場合は中止とするが延期はしない」
・「中止にするかどうかは当日の朝7時に決定する」
と前もって決められていたそうです。
調べてみると当時のオリンピック組織委員会も10月開催では、台風が多いから晴天の日は少なくなる理由で反対していたそうです。どうやら組織委員会は5月開催案を提案していたみたいです。
しかし、ソ連(ロシア)など北欧諸国から5月の開催では練習期間が少ないといった反対意見を受けて10月開催が決まったそうです。
また、日本の東京は高音多湿であること、真夏の開催は困難が当初から予想されていたとのことで10月開催となったそうです。その中で、晴天率が最も高い特異日の10日を開会式としたそうです。
ただし、10月の日本は台風シーズンであることは考慮されていて、屋外競技だった体操競技が体育館で行われるように決まりました。それ以降、体操競技は屋内競技となったのです。
ちなみに体育の日が長らく10月10日だったのは東京オリンピックの開会式を記念して制定されました。
東京オリンピックは1940年にも開催されるはずだった
1940年開催計画はあったもののの、日中戦争の激化により中止となりました。
その背景を具体的に解説をしていきます。
1940年に東京でオリンピックを開催する計画は発明家であった日本学生競技連盟会長の「山本忠興」の発案がきっかけでした。そして、当時の東京市長であった「永田秀次郎」が賛同して計画は始まりました。
1932年に候補地として立候補を表明して、ローマとヘルシンキと争う形になりました。
ここから日本は国をあげて招致活動を展開していきます。そして1936年のIOC総会で柔道の創始者「嘉納治五郎」が招致演説を行って、アジア初のオリンピック東京開催が決定しました。
ところが翌年の1937年、盧溝橋事件(日中戦争のきっかけ)が起きて日中戦争に発展してしまいました。これにより状況は一転し悪化します。国外だけでなく国内からもオリンピック開催反対の意見が続出しました。そして1938年7月の閣議で開催権の返上を正式に決定したのでした。やむ終えないですね。
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マラソン金メダル・アベベ選手は素足で走ったと言われるが実際は・・・
「アベベ選手は東京オリンピックではシューズで走っていました。」
アベベ選手は裸足の鉄人と呼ばれてて、幼少時代から野山を裸足で走り回っていたから足の裏の皮膚は厚いそうです。

引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/22112697.html
・ローマオリンピックでは裸足で走った
これも実は偶然であるようです。
大会直前に自分のシューズが傷んでしまい、自分の足に合った代替シューズがなかったからだそうです。幼少の頃から裸足で走るのには慣れていたアベベ選手は自ら裸足で走る事を選びました。
・東京オリンピックではシューズで走った
2つの理由(諸説)が存在します
・日本の道路はガラスの破片等が多く、危ないといった理由。
・日本ではオニツカ(アシックス)がシューズを提供したという理由。
このオリンピックをきっかけにできた職業は?
答えは「警備員」です。
当時の日本は高度成長期です。警備業法という法律もありませんでしたし、警備、セキュリティの認知も不足していました。
東京オリンピック、大阪万博など、世界からオリンピック選手やメディア関係者、観覧客などを招くことになります。
そこで、欧米諸国ではすでに確立していた警備システムの手法、仕組み、考え方を導入する必要が出てきたのです。
そして1964年東京オリンピックの選手村の警備、1968~1969年にかけて起きた連続射殺事件の犯人逮捕での協力、1970年の大阪万国博覧会の警備など。これらの功績が警備業発展のきっかけとなりました。
その後は施設警備だけでなく「交通誘導」「現金輸送車の警備」「ボディガード」など現在の産業(職業)として定着していきました。
その他トリビア
「ピクトグラム」も東京オリンピックがきっかけで誕生しました!

引用元:https://qiita.com/kusajima/items/776773313b03da748...
トイレマーク、非常口マークなどのマーク(記号)を「ピクトグラム」と呼びます。「ピクトグラム」は世界共通ですが、実は日本発祥だったんです。
駅構内など、文字を使わず道案内から注意表示を表すピクトグラムは馴染み深い存在ですよね。
実はこのマークが誕生したきっかけが、1964年の東京オリンピックでした。東京オリンピックでは非常口やトイレも急激に普及しました。しかし、外国の方には日本語で書いてあっても分からない、たくさんの言語も用意できないという問題がありました。
そこで、絵を見ただけでわかるように「ピクトグラム」と呼ばれる絵文字のようなマークが誕生したとのことでした。
このピクトグラムは世界中に広まりましたが、その理由が日本のデザイナーが著作権を放棄して誰でも使えるようにしたからです。
「社会に還元すべき」という考え方でデザインの著作権放棄が提案されました。
ここまで必死にピクトグラム作成に取り組んでいた若手デザイナー達も反対することなく、進んで著作権放棄の署名を行ったというから驚きです。
これによりピクトグラムは日本だけでなく、全世界で案内表示として使われるようになりました。
まとめ
・東京オリンピック10月開催の理由は、10月10日が晴れる確率が高い「特異日」だったから
・東京オリンピックは1940年にも開催されるはずだったが、日中戦争の激化により中止となった
・マラソン金メダルの「裸足のアベベ選手」は東京オリンピックではシューズで走っていた
・東京オリンピックがきっかけでできた職業は「警備員」
・「ピクトグラム」は東京オリンピックがきっかけでできた日本発祥の世界共通マーク
世界中の選手が集まった東京オリンピックでは産業が発展するきっかけが多くあった事が今回調べてわかってきました。
警備員もピクトグラムも今では無くてはならない存在です。2020年にも新しいきっかけで生まれる物が出てくるのか楽しみですね。
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